生きる知恵

イキルちえが執筆する生きる知恵ブログ・コラムのサイト。婚活、恋愛、マッチングアプリ、子育て、教育、仕事、健康、心理学、人間関係、少子高齢化、男女やジェンダーの問題、性の話などをお届けする。

男女の争い?男女分断?ツイフェミ?全く影響なし(人間の生きてきた環境と、存在の均等価値)

 さて、みんなは周囲から攻撃された時に身を守る方法をどの程度身に付けているだろうか。今日の記事は、生きていれば誰でも経験することを単純明確に記したものだ。さらっと流し読みでもきちんと理解できるようまとめた次第なので、気軽に読んでほしい。題材は、“男女の問題・争い”に関することだ。

 読者のみんなは、それぞれの立場や年齢で、日々世の中のニュースなどもご覧になっていることと思う。数ある世の中の情報の中でも特に、「性別に関する事、男女の問題」は争いを生みやすい。

 そして、これはすでに気付いている人も多数いるのだが、インターネットやSNSの発達と共に、実にくだらなくて醜い現象が、一般の人の目に留まる所で騒ぎになることが年々増加している。キーワードとしては、『フェミニスト』『ツイフェミ』『男女平等』『女性差別』『男性差別』などのものだ。

 この記事は2025年5月12日公開であるが、2025年前半でいえば、インスタント麺の商品である「赤いきつね」のCMが一部から性的だと批判された騒動や、3月に東京都新宿区のフェミブリッジ・アクション東京のイベントにて、多数の女性活動家等が「男は黙れ」「男が産めるのウンコだけ」などの問題発言を連発した騒動が代表的な所だろう。

(このフェミブリッジ・アクションの騒動については、当ブログで記事にしているので以下をご参照いただければと思う)

関連記事→<日本のフェミニストの活動は世界最低水準であることを証明してしまった2025年3月の出来事(男が産めるのうんこだけ!?)>

 

 こういった出来事についてよく情報を精査すると、ある共通点と可能性が浮かび上がってくる。

 それは、『外国など一部の人が、日本の一般人男女を煽るような騒ぎを起こし、男女分断を煽っているのではないか』というものだ。実際に情報を冷静に見ていくと、その通りだと確信できるような点も見受けられるものであり、ネット上のコメントでもそのような意見が見られることもある。

 ただし、当記事はこの部分を深掘りするのが目的ではない。あまりにも大きな話になり過ぎるからだ。

 こういった男女の騒動について、日本社会で生きている者として、もっと、もっと、簡単に堂々と生きていける指針というものがちゃんとある。本筋はここからだ。

 

 そもそも、産まれたばかりの赤ん坊の時から死ぬまでの一生の間、か弱い哺乳類である人間一人の周りは、敵というものはそこら中にいるのが自然である。人間一人という存在は、飢餓、病原菌、孤独やストレス、水や火や濁った空気、高所からの転落、物体の衝突・・・こういったもので簡単に死ぬものだ。

 さらには、人種や国籍が多数存在し、それらの異なる人間の集団は、四方八方に隣り合っている。その四方八方全てと仲良しこよしであるわけもなく、“周り中敵だらけ”というのは、本来当たり前であって、人間みんなそういった環境で生きてきたのである。これが、“人間が生きる”という当たり前過ぎる本筋なのだ。

 だから、社会でどんな男女の争いが話題になろうと、それが一部の人からの男女分断などを煽るものであったとしても、今に始まった話ではなく全くあわてる必要などない。『今も昔も、周囲に敵はいるけれど、身近な仲間を大切にしつつ、何が正しい行動・考えなのかを常に冷静に判断しよう』という一つの基軸があれば良い。それで充分に、質の高い生活が実現していく指針となる。

 日本は島国なので、“周囲から身を守る”という意識が育ちにくいという特徴がある。さらに、他国と比べて圧倒的に安全で、生活環境も恵まれているため、元々当たり前にある「人間が生きてきた四方八方の景色」が見えにくいだけだといえる。

 

 最後に、“冷静に判断”という部分を、もう少し解析してこの記事をまとめる。

 人との争い事において、判断材料になるのは『存在の均等価値』である。つまり、あらゆる性別・年齢・国籍・育った環境・外見・性格などを有している全ての人の命の大切さは皆同じであり、その上であらゆる判断を積み重ねていくということだ。

 例えば、男女関係の何らかの事件があったとする。すると、“冷静に判断できない一部の人”(差別主義者、一部のフェミニスト、ツイフェミ等)は、自分と同じ(あるいは近い)立場の人に強く感情移入した上で、加害者とされる人を攻撃する。しかし、加害者が自分と同じ(あるいは近い)立場の人だったら、加害者を攻撃せずに、被害者を攻撃する。

 わかりやすい例としては、母親が子どもを殺めてしまう悲しい事件が起きた時、冷静に判断できない一部の人は、母親を擁護して父親を攻撃する。父親が殺めていたら、母親を擁護して父親を攻撃する。当然これは間違っており、“殺人を犯した本人を批判する”ことが正当だ。こういった言動は『存在の均等価値』に反しており、冷静な判断ではないことは明確にわかるものだ。

 

 以上である。

 いつも血相を変え、怒り、人の話を聞かず、人を攻撃する人はどこにでもいる。争いはどこでも起きるが、楽しく陽に満ち足りた生活はどこでも実現可能だ。

(作・イキルちえ)

こちらも合わせてどうぞ→<このブログの紹介>

<参考文献>

共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」(SWASH)

https://swashweb.net/2021/07/12/post-906/