さて、みんなは体を酷使するほどに努力し、人に尽くした経験があるだろうか。それにより、人生を充実させることができているだろうか。
世の中は、広いようで狭い。そして狭いようで広い。注目されるような場所にいなくても、名前が売れていて有名でなくても、社会に欠かせない貢献をしている人が世の中にはたくさんいる。今日はそんなエピソードを一つ紹介する。登場人物は60代の女性だ。
「私はね、30年位前から、貧しい子ども達を助ける活動をしてきたんですよ。毎朝早く起きて、子ども達のために何十食も食事を作ったりしてね。ほとんど休みもなかったです。しかもボランティアでね。でも働き過ぎて、60歳過ぎた頃に体を壊しちゃったんですよ。歩くのも大変になって、今は毎日病院通い。自分がやってきたことに後悔はないけど、切ない気持ちもありますよ。なぜかというと、私の周りに住んでいる同世代の人達は、貧しい子どもを助けるようなことは一切興味もなくて何もそういうことやってこなかったのに、今毎日ゲートボールとかやって遊んで暮らしているんですよ。私は今そんなことできなくて病院通いばっかりなので、何だかね・・・」
これを読んで、みんなはどう感じただろうか。今の世の中はネット社会なので、多くの人は情報元のリソースをネットの情報だけに頼りすぎている。しかし、それだけでは大切なことを見落とすことも多々ある。
このエピソードのように、体を酷使するほどに努力して人に尽くしている人間の鏡のような人は、実はあちこちにいるのである。そういう人の存在に気付く力があると、自然と重要な仲間や友達というものは作られていく。
友達が少なく、孤独感を感じている人は今たくさんいると思う。読者のあなたの周囲には、どんな人がいるだろうか。その周囲の人達は、普段どんな言葉を発していて、どんな生き方をしているのか、それらを“感じ取る感性”を、あなたは持っているだろうか?
これは、生きていくのに非常に重要なものだ。是非自分自身の行動と照らし合わせて問いかけてみてほしい。そういう感性を持っていれば、この60代女性のエピソードのような素晴らしい人物とめぐり合うこともできるようになるし、必ずやそういう出会いは助けになるものだ。
『名前が売れていて有名でなくても、人に対してポジティブな影響を与え、社会に欠かせない貢献をしている人』を感じ取る感性は、まずは自分自身が、勤勉さ、謙虚さ、平等的な視点を持って日々生きることで、長い時間をかけて身に付いていく。偏差値などのように簡単に数値化できなかったり、お金では買えない人間のスキルというものはたくさんある。生きる知恵、糧、きっかけは、どこにでも無限大に広がっている。
(作・イキルちえ)
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