さて、みんなはどんな性別、世代の人に対しても同じ接し方をすることができているだろうか。今日は、人権に対する考え方の一つの視点の話である。この記事は、これという結論や答えを提示しているわけではなく、「こういう視点で物事を考える必要があるがみんなはどうだ?」という投げかける形でまとめている。この記事を読んで大切なことを考えるきっかけになってくれたら幸いだ。
人間は男と女の二種類の性別があり、赤ん坊からお年寄りまで各世代の人達が共存して生きている。この中でも、かなり多くの人が“若い世代の女の子、女性”が好きだというのは周知の事実だろう。男性だけでなく、女性も同様だ。
メディアや広告が集客の際に、かなりの頻度で若い女の子を宣伝に使うのも、若い女の子が特に世間の受けが良いことを、マーケティングリサーチした上で把握しているからだ。世間の日常のあらゆる場でも、若い女の子が特にチヤホヤされるのはもはや当たり前の光景でもある。若い女の子というのが具体的にどの年齢を指すのかはこれといった定義はないが、おおまかには13~25歳あたりを指すことが多いといえる。
この事実に対して、ちょっと頭を冷やして冷静に考えていきたい。
まず、なぜ若い女の子が、他の性別や世代と比べて特別に惹かれるのか。これは至って単純な理由で、人類の繁栄に関わる“子孫を残したい”本能欲求と繋がっているからだ。これはもう歴然としている。
男性は若い女性とセックスをして子どもを残したいものであるし、女性は性的魅力に溢れる煌びやかな外見に憧れる気持ちは幼少期から中年期以降まで長期間続く。人間が生物である以上、こうなるのは必然ともいえる。
しかし、こうした状況や価値観は、デメリットも起こる。これを、同じ性別の女性視点から考えてみると、「生きやすさ、生きにくさ」「人権」に関わる問題が見えてくる。
まずは、「13~25歳に該当しない女性の立場」から見たら、どう感じるだろうか。
読者のみんなの性別や年齢は様々だと思うが、自分が30歳の女性だとして、周囲の人が15歳、18歳、22歳の女の子ばかりだとしたらどう感じるか・・・ちょっと目を閉じて深く深呼吸をして想像してほしい。周囲の多数の人達は、その若い女の子ばかりに注目してチヤホヤするのである。
場の状況にもよるが、これはかなり生きにくさを感じることだろう。人間の魅力は、年齢、外見、性的魅力だけではない。一定の年齢層だけ特別視されれば、そうでない世代の人は生きにくくなり、反感を買うのは当然だといえる。
現代の、若い女の子ばかりが特別視されて、中年世代以降の女性に必要以上に風当たりが強い風潮は、健全ではない。社会の歯車が、あらゆる性別、世代の人達の尽力で回っていることを考えれば、若い女の子だけでなく、中年世代以降の女性も同じように大切な存在だ。
そしてもう一つ。「13~25歳に該当する女性の立場」で考えてみよう。読者のみんなの性別や年齢は様々だと思うが、自分が18歳の女の子だとして、周囲の人が30歳、40歳、50歳の女性ばかりだとしたらどう感じるか・・・ちょっと目を閉じて深く深呼吸をして想像してほしい。周囲の多数の人達は、自分ばかりに寄ってきてチヤホヤしてきて、自分ばかりに大きな期待を寄せてくるのである。
これはもちろん場の状況にもよるし、感じ取り方もかなり人によるだろう。最もありがちなのは、「自分は優れているんだ」という“慢心”が生まれる点であろう。
これは、現状の婚活、恋愛市場で多数の高望み女性が生まれたりしている社会状況で充分認められるものだ。パパ活(売春)女性の増加、表面化などもそうである。(2024年に大きく報道された、パパ活及び男性の恋愛感情を悪用した頂き女子りりちゃんの詐欺事件も、「高すぎる自己評価」「慢心」の影響があったことも読み取れる。)
しかし、そういう点だけではない。
特別視されるということは、周囲の期待も大きいということでもある。何かに失敗すれば、周囲の失望も大きくなる。男性は、若い女の子というだけで、清廉潔白の美人を期待する。家庭では、母親が娘に過度な期待をする場合も非常に多い。外見、性的魅力が少なければ、周囲の失望や批判も大きくなる。
こういう思いを経験する若い女性は実はかなり多いということも、知っておく必要があるだろう。
彼女たちは、お人形でもない。英雄でもない。ましてや、見世物でもない。
それぞれの人格を持った人間なのだ。一人一人、自分なりの個性と望む生き方がある。若い女の子を神聖化しすぎると、デメリットも多く生まれ、本人も、周囲の人も苦しむことになる。読者のみんなの周囲には、16歳、20歳、23歳といった女の子はいるだろうか?その女の子、女性達にどう接したらよいのか、今一度じっくり考えてほしい。
(作・イキルちえ)
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