さて、みんなは他人とコミュニケーションを取る時、物事を幅広く捉えて考えることを心がけているだろうか。今日は、現代に蔓延している人間関係の現象について考察した記事である。よかったら最後まで読んでくれ。
人間は常に、いくつかのコミュニティ(家庭、学校、職場、趣味の集まり等)に所属し、それぞれに異なった人間関係を形成しているのが一般的だ。そして基本としては、“自分の趣向、好み”が合う人同士が、グループを形成しやすい特徴がある。これは至って自然なことだ。
自分の趣向、好みが合う人同士で過ごすことは、心地良いものである。なぜなら、自分とほぼ同じ考えの人同士が多いので、「自分の考えを否定される可能性が低く、頭を使わずに済むから」である。
しかし生きていく上で、常に自分の考えが思い通りにいくわけではないことは、大人なら誰もが知っていることだろう。
そこで、是非知っておきたいことがある。それは、現代は誰でも“短絡的思考に陥りやすい状況に置かれている”ということだ。
短絡的とは、「物事の本質や筋道を深く考えずに、その原因と結果などを性急に結びつけてしまう」ことである。つまり、「これは〇〇でこうに決まっている」と決めつけてしまう単純で視野の狭い思考を指す。
短絡的思考に陥りがちかどうかは、本人の元々の素質や経験値などの個人差にかなり左右されるものだ。教育の問題とも関連して議論されることもある課題だが、一つ、現代特有の社会状況が大きく関係していることがある。
その、誰でも短絡的思考に陥りやすい要因の大きなものは、『趣向の合う小さなコミュニティを形成しやすい社会』というものだ。これが何を指すのかというと、X(旧ツイッター)やインスタグラムなどのSNS、YouTubeなどの動画チャンネル、オンラインのネットゲーム、LINEなどのコミュニケーションツール(グループLINE)などを指す。こういったツールは、現代は老若男女問わず、ほとんどの人が何かしら利用していることだろう。
これらは、非常に便利で楽しい時間を提供してくれるように感じるものだ。それはなぜか?
世界中に数ある趣味趣向の中から、自分にとって最も合うものを自分の意志で選ぶことができるからだ。いわば、“厳選”されている。そして、自分にとって合わないものを排除するのも、比較的簡単にできるものでもある。
例えば、SNSで数人のフォロワー同士で、他者の批判や悪口を楽しそうに書き合っている場面などは、日々どこでも行われていることである。そしてそれらの会話は、とても視野が狭く、整合性のない低俗な会話であることも決して珍しくない。(現代の子ども達が、幼少期からこのような環境下に置かれていることも、将来的にさらに重大な問題に発展していくことも充分予見できる)
次に、一つ例を挙げておこう。
<参照元:https://x.com/JzCpm2AqXqPouE0/status/1783299628710203400>
上記は、婚活をしている女性によるX(旧ツイッター)の投稿である。内容を要約すると以下のようなものである。
『婚活で出会った年上の男性と一緒に、宝石店に結婚指輪を買いに(見に)行った。男性は宝石店で、店員に指輪の値段のことを色々質問していた』
さて、ここで読者のみんなであれば、どのように考えるだろうか?上記の出来事は特別驚くようなものはないし、考えどころや、この先の行動の仕方はいくつもある。「実物の指輪を見てイメージを掴む、値段の相場を知る、買いたい指輪の好みをお互いで話し合うきっかけにする、サイズ合わせやいつ買うかなどを今後話し合う、他の結婚準備とどう合わせて進行するかを話し合う」などが挙げられるだろう。そもそも結婚指輪のような高額な商品の買い物は、一回で決めずに複数比較検討するのが賢明であろう。
しかし、実際にリンク先をお読みいただければわかるが、この婚活女性は「この男性は、文句も言わず私の欲しい指輪をすぐに買ってくれる」という一つの短絡的思考に陥っており、男性の言動に不平不満かつ戸惑っていることが記されている。さらに付いているリプライは、“趣向の合う小さなコミュニティ” そのものであり、視野の狭い傷の舐めあいのような内容が大半を占めている。
こういったことは、今世界中どこでも起きていることである。短絡的思考は、人生の可能性と行動を著しく狭くしてしまうため、幸せな生活を自ら手で跳ねのけているのと同じである。
現代を生きているオレ達は、いとも簡単に短絡的思考に陥ってしまうリスクを常に抱えていることは、充分に承知しておかなければならないだろう。
(作・イキルちえ)
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