さて、みんなは自分が歳を取って高齢者になることをどう感じるだろうか。今日は、現代の高齢者を取り巻く社会状況や心理状態を簡単に分析して、高齢者になっても生きやすい指針になるようまとめているものである。よかったら気軽に読んでくれ。
高齢者とは主に65歳以上の人を指す。現代は少子高齢化が進んでおり、人口全体における高齢者の比率も上昇し続けている。人生100年時代と言われることも増えており、高齢者になった時にいかに健康でいて人生を充実させるかということは、人間の命題になりつつある。
しかし、世の中の人の声に耳を傾けると、“歳をとること”“高齢者になること”に、大きな抵抗を感じている人が少なからず多い。
「100年も生きたくない」
「延命治療なんかしたくない」
「いつまでも若いままがいい」
「将来年寄りになって、若者からバカにされるようにはなりたくない」
こういった声は非常によく聞かれる。これは一体なぜか。
高齢者になることを恐れる心理が働く原因は、大きく分けて二つだ。
一つ目には、「若さならではの外見(美しさ)が失われる」からであること。これは、人間の生きているどの世代の局面(例えば恋愛や結婚など)でも顕著に見られるものだ。人間はどうしても、見た目の判断が第一の尺度になる。外見至上主義が加速している特徴も相まって、外見が衰えた状態は人として価値が低いと感じてしまう“よどんだ空気”が、社会には漂っている。「ジジイ」「ババア」といった蔑称が比較的安易に使われているのは、まさにこれを象徴している。
もう一つには、歳を取ると「若い頃、それまでできていたことが、徐々にできなくなってくる」からである。
《ただし、知識の蓄積や経験を生かした言語力、思考力、問題解決能力といったものは“結晶性知能”と呼ばれ、これは歳をとっても成長することが判明している》
身体能力は衰えるし、物覚えは鈍ってくる。自転車や車の運転もいずれはできなくなる。病気にもかかりやすくなる。これらは(訪れる時期は人それぞれ違うが)皆誰にでも平等に訪れるものだ。
では、なぜこのような心理状態を引き起こし、高齢者にはなりたくないと感じるのか。
その根本に繋がるものを一つ挙げると、現代社会が『できる人は評価され、できない人は評価されない』ことが中枢にあるからだ。歳を取って高齢者に向かっていくことは、“できない”方向へ推移していくことと同じであり、それを嫌でも感じ取りやすい形に社会が進化している。
仕事ができる、話が上手にできる、〇〇ができる・・・このような人達は大きな恩恵を受け、できない人は、極端にいえば人権すらないかのような扱いを受けることも珍しくない。
しかし、このような形で人間社会が進化してきたことは、大半は今さら変えようがないだろう。ここから先は、自分自身が高齢者になっても、決して恐れる必要はなく、生きるのに役立つと思われる指針を二つ記載する。
①興味・関心
生きていくのに、人からの評価は非常に大事でもあるが、かなり多くの場面でそれは『クソほどの役にも立たない!』
そして、記事前半で挙げた、高齢者になることを恐れる心理が働く原因に深く関わっているのは、人からの評価である。
人からの評価を気にすることと真逆にあるのが、『自分が興味を持つこと、関心を持つこと』を大切にすることである。世の中には、興味をそそる事象、物事は山のようにある。人間が死ぬことは決して特別なことではなく、死ぬときはあっけないものだ。自分が興味をそそり、関心を持つことに夢中になっているうちに、自然と死ぬ瞬間は訪れる。
②人の良い所を見る
この行動と価値観は、人生の様々な場面で学ぶ機会がある。幼稚園や小学校でも必ず子ども達が学ぶ機会がある。人の良い所を見るよう心がけるのは、高齢者自身が生きやすくなるためと、若い世代の人が高齢者の人を生きやすいようにサポートすることの両面で、非常に大切なことだ。
わかりやすく伝わるように、作者のオレが知人から実際に聞いた例を最後に紹介して、この記事を終える。この知人は60代の男性である。
「俺普段近所にある小さな床屋に散髪に行ってるんだけどさ。いつも、結構な年の腰の曲がったおばあちゃんが切ってくれるんだよね。料金は安いわけでもなく平均的だし、カットがすごく上手なわけでもないんだけど、淡々とした雰囲気がなんか良くてさ。いつもその床屋に行っちゃうんだよね。」
(作・イキルちえ)
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