さて、みんなは「男子」「女子」という呼び方についてどのような印象を持っているだろうか。今日の記事は、この二つの呼称について解説する。男女やジェンダーの問題、婚活、教育など、幅広い分野で関連があるので、最後まで読んでいただければ嬉しい。
「男子」「女子」この呼び方は、読んで字のごとく、子どもの男の子と女の子を呼ぶ際に使う呼称だ。しかし日本では、成人した大人が自分や他人のことを、このように呼ぶことがわりと多く見られる。(海外ではこのような現象、呼称は全くない)
もっとはっきりいえば、「男子」よりも「女子」という呼び方が圧倒的に多く使われている。「女子会」「女子旅」という言葉は一般的によく使われているし、婚活などの場では、大人の女性が自らのことを「女子」と呼ぶ場面はかなり多く見られる。
〔注釈:実際には、「子」を使用する呼称はもっと幅広い意味で使われる。しかし、「男子」「女子」の呼称は、あくまでも「子ども」が対象というのが標準的な認識・感覚として普及しているので、当記事ではこれを前提として記述している。〕
これらのことは、仲間内や家族内などの、限られた人間関係の中だけで行われているのなら、特に問題にする必要はないともいえるだろう。特に子どもがまだ幼い場合、その家族内だけで通じる愛称で家族を呼ぶことは珍しくない。
(さらに蛇足だが、当ブログ作者イキルちえが、数年前とある仕事関係の集まりで男女数人が集まった時の話だ。場所は喫茶店で女性が3人いたのだが、この方たちは「ケーキ食べたい」と言い出し、「どれにしようかなー」などと楽しそうに選び始めた。その時女性の一人が『ごめんね時間かかっちゃって。女子で甘いもの好きだから勘弁してね』と笑って話していた。この集まりにいた人はお互いをよく知っている仲間内であり、女性3人はみんな社会で優れた力を発揮している社会人である。いわば仲間内で通じる人同士で“女子”という言葉を使った例である)
しかしである。これらのことを、たかが呼び方、呼び名と思って片付けるのは、あまりに安易である。人のことをどう呼ぶかというのは、当人のパーソナリティや価値観や行動に、想像以上の影響があるものだ。そして、大人が自らのことを「女子」「男子」と呼ぶことについて、相当多数の大人が「良い年した大人が何言ってるんだ・・・」と冷めた目で見ていることも事実である。
重要なポイントは、この「男子」「女子」という呼び方は、「男はこうであれ」「女はこうであれ」という性役割(ジェンダー)の意識が強くはたらいている点だ。
特に過去の教育現場では、教員が生徒に対して“個人の個性は関係なく、集団の中の一人の子どもを呼ぶために”使われる意味合いが非常に強かった。そして、「男子なんだから強くありなさい」「女子なんだからおしとやかにしなさい」というメッセージと共に、人々の心に刻まれている。それが、祖父母、両親などから代々受け継がれ、現在にも色濃く残っているというのが実情である。
それでは現代の話と課題に移ろう。
ここまで読んで、勘の良い読者の方ならお気づきかもしれない。現代、大人の女性で自分のことを「女子」と言う人は多数いるが、大人の男性で自分のことを「男子」と言う人はごくわずかだ。むしろ、自分で男子と言うことを毛嫌いする男性の方が圧倒的に多い。
この理由としては、言葉の意味を考えればすぐにわかる。大人よりも、子どもの方が幼くて能力が低いからだ。
つまり、大人の男性が、自分のことを男子と呼ぶと、「私は能力が子ども並みに低いです」と、自ら宣言しているのと同じなのだ。まともな男性が、そんなことをするわけがない!男性はどこに行っても、強さ、たくましさ、お金を稼ぐ力、煌びやかな外見、知恵と懐の深さなどを求められる。
それでは、なぜ大人の女性で、自分のことを女子と呼ぶ人が多数いるのか。しかも、なぜそれがすんなり社会に浸透しているのか。
もうおわかりだろう。女性は「男性に守ってほしい」「依存したい」「若いと男性の気を引くことができて、恋愛や結婚や出産に有利になる」という潜在意識がはたらいているからである。同時に、「女性は男性よりも弱い存在であり、子どもと同様に保護の対象である」という社会的認識が存在するからだ。
まとめとして、これらの状況を踏まえた、婚活現場における重要な視点と、今後の人間社会の行方について述べておこう。
まず婚活の際にだが、婚活女性は、お相手男性とお会いしてお見合いやデートをする際、自分のことを「女子」と呼ぶことは避けることを推奨する。それがなぜかは、もうこの記事の中に答えが書かれているが、あえて再度説明しておこう。
まず、女性は大人であって、子どもではない。女子とは、子どもの女の子を指す言葉なので、男性から見たら「言葉の意味を理解して正しく使えない人」というマイナスの印象を与えるからだ。
さらに、女子という言葉の意味から「自分が幼く、男性(夫)に頼って依存しようとしている」とマイナスの印象を与える。結婚は自立した大人同士の生活という本質を考えれば、これはもう問題外になる。
そして今後の社会の行方について。
表向きには“男女平等”が叫ばれているが、その事実は混とんとしており、いっこうに平等が進まないまま時代は進んでいる。どんな形が男女平等なのか、男女平等の社会が本当に良い社会といえるのかという答えも、まだ出ていない状態で、一定の進化を遂げるにはまだまだ時間がかかるだろう。
しかし、一つはっきりしていることがある
『大人は子どもを作り、育て、守るもの』という価値観だ。まずはこの土台と循環を安定させることは、男女平等以前に不可欠の要素である。そのため、『大人は、大人であること』が求められるのは当たり前のことだ。
「女子」「男子」という言葉は、子どもを指す呼び方である。そうすると、大人の女性を「女子」と呼ぶことはふさわしくないという結論に、自然と辿り着く。
(作・イキルちえ)
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