生きる知恵

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高齢者に必要な「年下から学ぶ謙虚な姿勢」

 さて、みんなは普段から“謙虚さ”を持って生きているだろうか。謙虚の意味とは、「控えめで慎ましく、おごり高ぶらないこと」である。これは、タイトルにある高齢者に限らず、全ての年代において大切な生きるスキル、立ち振る舞いの一つだ。

 現代はどの年代の人も決して生きやすい世の中とはいえないのだが、近年特に横暴な態度な高齢者のことがしばしば話題になる。この要因の特に多くを占めるのが、「世の中の常識、価値観、周辺環境などの変化が激しすぎる」ことが挙げられる。これは非常に大きなストレス要因になるのだ。なぜなら、自分自身が何十年もかけて築いてきた生き方や考え方が通用しない場面が多々起こるからだ。

 わかりやすい例では、スーパーのセルフレジが挙げられる。元々はレジ店員に現金を渡して、お釣りを受け取るだけで住んでいた買い物が、支払い方法を選び、自分で端末画面を読み取って操作をしなければならないのだ。他の人から簡単に見えることでも、何十年もかけて身に付いている習慣を強制的に変えなければならないのは大変なことだ。

 この他にも、人間は年長者ほど知識や経験が豊富で、若者は知識や経験が少ないから年長者に教えを乞うものという暗黙の常識があった。しかし、現代ではこれも通用しない。「物事を教えてやる」というような上から目線の態度は、あっという間に反感を買う。少し数年遡ると、会社などで若い人ほどパソコン操作に慣れていて、年長者がパソコンを扱えず、若い人に教わらなければならないという現象がよく起こっていた。

(ただし現在、若い世代はスマホに慣れ過ぎていて、逆にパソコンに慣れていないという逆転現象も起こり始めている)

 こういった状況下で、何が大切になるだろうか。そう、“謙虚さ”である。これは、これからの人間関係において命運を分けるスキルといっても過言ではない。ちょっとここで一つ簡単なエピソードを紹介しよう。

 

 とある場所で行われた、料理サークルの日。人数は10人ほどで、30~70代と幅広い参加者が集まっていた。この日は味噌汁を数種類作るテーマで、それぞれ作り方を変えて比較してみようという料理活動が行われていた。ここで、ダシを取る煮干しを使用する時のことだ。30代の女性参加者が、ニボシを頭や内臓を取らずに鍋に放り込んだ。すると、70代の女性が少し驚いた表情をしてこう言った。

「え?ニボシの頭と内臓は取らないの?」

 すると30代の女性参加者は笑顔でこう返した。

「あ、確かに取った方が美味しいですよね。でも、それって多少手間も増えるし、そこまで劇的に味が変わるものでもないから、これは手早く作るのを優先しましょう」

 すると70代の女性参加者は笑顔でこう答えた。

「確かにそうね。特に今の若い人は忙しいものね。私が若い頃は、何作るのもすごく手間をかけてたのよ」

 

 この二人の女性のやり取りを見て、読者のみんなはどう感じただろうか。この料理サークルの良い人間関係が、この文面だけで伝わってきたのではないだろうか。この70代女性は、謙虚さがあり、優れた人間性を持っているといえる。30代女性の、“頭と内臓を取らずにニボシを使う”という新しい価値観を否定することなく、自然に受け入れたからだ。

 もしこの時に70代女性が、こんなことを言ったとしたらどうなるだろう。

「あなた何も知らないのね。ニボシは、頭と内臓を取って使わなきゃ煮崩れしちゃうし余分な味が出ちゃうのよ。これだから若い人はダメなんだから」

 料理サークルの雰囲気は一気に悪くなり、人間関係に支障をきたすことが目に見えるだろう。

 

 しかし、忘れてはならない。

 人間の歴史、知見、知識、知恵、技術などは、そう簡単に短時間で出来上がるものではない。目の前に転がってきた新しいものばかりに飛びつくのは、それこそ愚かな行為だ。

 イギリス人ジャーナリストのヘイミシュ・マクレイ氏は、著書『2050年の世界 見えない未来の考え方』の中でこのように語っている。

『教育の水準が高く、適応力があり、健康な高齢者は資源であって、重荷ではない。従来の雇用形態にかぎらず、広く社会で高齢者のもつスキルを最大限に活かすにはどうすればいいか、わたしたち全員が学ばなければならない』

 謙虚さを忘れずに、古いものも、新しいものも、正しく見極めて使っていくことが、これからは大切になるだろう。

(作・イキルちえ)

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