さて、みんなはサービス業の仕事を経験したことがあるだろうか。何らかのサービスを提供する仕事は多種多様なものがある。そして、基本として、そのような場にはどんな思考を持った人間が訪れるかわからない。今日のエピソードは、同じような体験をした人も多々いると思われる事例だ。
A男(20代前半)は、とあるキッズパークで働いている。キッズパークとは、簡単にいえば幼児・児童向けの小型の室内遊園地のようなものだ。
このキッズパークには、やや大きめのカラーボールが床1面に敷かれている遊び場がある。子ども達に大人気で、休日にはたくさんの利用客が訪れる。この遊び場を利用する際、保護者と子どもに対していくつか注意点を伝えることになっている。その内容は、
①ボールを他の子どもに対して投げつけない
②床をむやみに走り回らない
この二点だ。子どもの遊び場なので多少のことは大目に見ることもあるが、危険を伴いそうな時はスタッフから注意をする旨も伝えられる。この辺りは至って常識的な話だろう。
A男がこのキッズパークで働いていたある日、かなり頻繁に他の子ども達に対して、面白がってボールを投げつける子ども(B君)がいた。注意しなければならないと感じるレベルだったため、A男はB君の所に行き、他の子にボールを投げつけないよう注意をした。
ところが、近くにいたB君の父親が怒った顔でA男に対してまくし立て始めた。
「お前さあ、こんなガキにそういうこと言ったってわかるわけねえだろ。多少のことは許せよ。ケガさせたりしたわけじゃねーんだから!」
A男は唖然とし、最初の入場時に説明した注意点を再度丁寧に説明した。しかしB君の父親は聞く耳を持たない。
「お前名前なんていうんだよ。〇〇?じゃあ後で言っておくから!」
さらにこの時、すぐ側にいたB君の母親が以下のように言って父親をなだめようとしていた。
「ねえ、みっともないからやめてよ」
しかしそれでもB君の父親の怒りは収まらない。受付の所に行き、「責任者を出せ」と突っかかったが、その時責任者は不在であった。その後にすぐB君の父親は不服そうな様子のまま、母親とB君を連れてキッズパークから帰ってしまった。
(注釈:後日B君の父親からキッズパークにクレームはなかった。また、B君自身は障害がある等の特殊な事情があるわけではない)
さて、みんなはこのエピソードを読んでどう思っただろうか。
なぜこのようなことが起こるのか、解析できるポイントは非常に多い。同じような経験をした人だったら、感じることもたくさんあるだろう。この記事においては、一つにポイントを絞って掘り進めていく。
人間が豊かに良い生活を送るために、特に大切なことは何か?現代の社会の特徴も踏まえた上で考えてみよう。
一つ、最も大切なことを挙げるなら、『安全』であることだ。
今の日本の街中は、猛獣が襲いかかってくる危険はない。しかし、現代ならではの安全を脅かすリスクは、道路、建物、交通手段、屋外の自然、様々な造形物など、ありとあらゆる場所に潜んでいるのだ。それらから人々を守って『安全』を確保するために、たくさんの人が力を添えているのである。キッズパークで働くA男もそのうちの一人だ。
このケースにおける安全を脅かすリスクは、「他人の子どもにケガをさせる」「他人の子どもにケガをさせることで、金銭や時間の浪費、精神的負荷、最悪の場合裁判を起こされる等」「自分の子どももケガをする恐れ」「自分の子どもにマイナス影響になる体験」などが挙げられる。
それでは、この『安全』が、どのように対策を取れば保障されるのか。これは、安全対策を専門にしている人があらかじめ対策をすることが基本だ。逆にいえば、素人が判断できない安全というものは山ほどある。
一例として、みんなは2001年7月21日に兵庫県明石市で起きた明石歩道橋事故をご存じだろうか。この事故は花火大会の日に歩道橋に大量の人が押し寄せ、11人が死亡、247人が負傷した事件である。この事件では明石署の安全対策の怠りが被害拡大につながったことが裁判でも認められている。(遺族側と警察及び警備会社の刑事裁判、遺族側が勝訴)
つまり、花火大会に行く人や、上記事例のキッズパークで遊ぶ子ども達は、その場に参加している素人の当事者だ。今の世の中の多くの場は、素人当事者だけで安全は確保できないのである。B君の父親は、そういうことがわからない知恵不足で身勝手な人間の一人だ。
(逆にいうと、花火大会の歩道橋の人の多さや、キッズパークのボールの遊び場の様子を察知して、『ここは安全がない危ない場所だ。居場所を変えなければ』と察知して行動できる人は、かなりの見識と知恵を持っている人だろう)
何が安全で、何が危険なのか、世の中で誰がどんな役割を担っていて、大人としてどう振る舞うことが望ましいのか、そういったことは現代人の全ての人が考えなくてはならないことである。そして、そういうことを理解せず、注意されただけでキッズパーク店員のA男を恫喝するB君の父親の行為は、カスハラそのものである。こういうカスハラ行為は「望ましくない愚かな行為で無くしていくもの」という認識が浸透し、ようやく社会全体で対応が進みつつある。安全を担う社会人、専門職などは、社会全体で守っていかなければならない。
(作・イキルちえ)
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